まさか自分が生きてる間に
あれほどの巨大地震が起きるとは...
そうなんど思ったことか
でも、それは生きているから思えることで
生きている限り思い続けていきたいことで
西の震災から20年
東北の震災から4年
新しいカレンダーをめくる度に印をつける
2015年3月11日のママンコシェ |
あの日もよく晴れていた
朝からバラの芽を確認して
旅支度をしていた
夕方にはお父さん早めに帰るそうだから
それまで猫ちゃん達とお留守番よろしくね
そう言って西へと向かう空の便に乗った
2010年11月新しい家族となったばかりの頃 |
2010年11月23日の子猫ちゃん |
数カ月前から耳の状態がおかしかった
特に右耳がひどかった
だがその日は両耳ともに異様とも感じるほど
ひどく痛痒かった
機体が着陸体勢に入った頃から
耳の異様な状態は極限に達していた
単に気圧のせいだけではなかった
搭乗した飛行機は定刻から数分遅れで目的地に着いた
14時50分、いや14時55分?
着いたよというメールを送ったっきり
飛行場から中継地へ移動する間
誰とも連絡を取らなかった(と思う)
いつ知ったのか
今となっては記憶が定かではない
かなり取り乱していたのだと思う
一人置いてきた子供が恐怖で泣きじゃくり
動揺しているらしいことが分かった時、
まずは情報を!と最寄駅で尋ねたが
九州新幹線開通を翌日に控えたお祭りムードで
「地震ですか?分かりません」とそっけない
もしかしたら私が得た情報は間違いなのではないかと
いや、間違いであってほしいと思えるほどの
ごくごく普通の日常の時の流れが漂っているだけ
その時刻は
地震発生から既に1時間ほど経過していた頃で
当然全国ネットで報道されているだろうと。
今にして思えば、直ぐに情報発信できる状態ではなかったのだ
ということが分かる
結局何の情報も得られない中当惑している私に
近くの運送会社でネットを使わせて貰うしかないですかねー
という応答に
そりゃぁないだろ!?
などと口走りそうになったことはしっかり覚えている
2015年3月 あれから4年経ってこんなになりました(ΦωΦ)(ΦωΦ) |
遠くで起きた地震
地震災害の現場から遠いということ
ってこういうことなんだ
行き交う人々はなぜそんなに落ち着いていられるのだろう?
もしかして私一人滑稽なほどうろたえ動揺してる?
数日後東京へ帰った時、
余震とゆれくるコールの甲高い音の恐怖に遭遇
周囲の人の引きつった表情、青ざめる顔
それらに触れて初めて震災が現実となった
そして、思った
地震の恐怖、震災の余波を他者と共有するって
こういうことから始まるのかもしれないと。
2011年3月11日の朝は静かだった |
去年一年に数えられた余震の数は700回ほどらしい
2011年の大地震からの総計が1400回ほどなので
去年一年で半数?
まだまだ余震は続く
震災からの立ち直りはまだまだまだまだ
私は、といえば
耳は時折痒くなるし
ここ数年消えることのない
キィーンという金属音(耳鳴りとは違う)も続いている
震災当日押入れに逃げ隠れて小一時間出てこなかったという仔猫
いまだに大きな揺れが来ると隅に隠れる
子供と猫2匹
その時そばに居てやれなかったことを思うと
胸が痛む
だからね
かーちゃんは
たくさんバラを育てて
たくさん花を咲かせて
ほら咲いたよきれいだろいい香りだろ
と死ぬまで言い続けることにしたんだ
0 件のコメント:
コメントを投稿